シュランメルとシュランメルンについて
                                  坂 田 進 一

 私が愛用していた日本版の1959年の古いH社の音楽辞典や、1966年のO社の辞典には、シュランメルとシュランメルンの項目共に載っていませんでした。(なのに、1958年版相良の大独和にはちゃんとあります。) 当時、このジャンルはあまり日本に紹介されていなかいようでしたが冒頭でも触れましたように、実際の音や SPの録音版などを、少年期の私は何かしらの折に聴いたり、我が家の楽器棚には少部でしたが、シュランメルや ヴィナーリートの曲集もあっていたずらしていたのですから、他にも隠れたファンは存在したように思えます。  さて、シュランメルというのは人名です。シュランメル兄弟とその父カスパー(1811〜1895,クラリネット の名手、妻は民謡歌手)を含んだ一家がそうですが、主に兄のヨハン・シュランメル(1850〜1893)と弟の ヨーゼフ・シュランメル(1852〜1895)兄弟を具体的に指します。 そのシュランメル兄弟の作品と、それを演奏する為の楽器構成、すなわち
●ヴァイオリン×2
●クラリネット(G管でとても小さい。普通の管も使われる。まれにフルートも使われる)
●ハーモニカ (ウィ−ン式のボタン・アコーディオン。今は普通のアコーディオンも使う)
●コントラギター(低音絃がついたダブルネックのギター。初期には4絃から各種あったが現在は7絃と9絃がある)
以上の楽器編成をシュランメルン(シュランメルの編成の意)といい、後には、このスタイルで演奏(編曲も含む)され、兄弟以外の他人の作品(主にヴィナーリート[市民に愛される主にウィーン賛歌、ウィーン小唄とも]や大作曲家の通俗作品)をも含めてシュランメルンと呼ぶようになりました。
 この小編成の楽団は手軽で、その上機動性(立奏できる)に優れることから、ホイリゲと呼ばれるワイン レストランで大衆に支持され、民謡から大衆歌、ヴィナーリートの伴奏形態としても重宝がられました。 また、わざわざ演奏会に行けない人々に気軽く名曲を提供することで大好評でした。そうして、ここが最も 重要なポイントなのですが、このシュランメルは、いわゆる、芸術音楽という権威付された分野とは全く別 の流れに属するもので、あくまでも地位とか名誉には無縁な大衆の好みに一致するものであったのです。シュトラウス一家のワルツでさえそうでした。ですから、新時代の点と線に絶妙に一致したともいうべき創造産物であるシュトラウスのワルツやシュランメルンは、市民時代のウィーンを最も鮮やかに彩る新時代の音として、一世を風靡することになったのです。それゆえに、かえって時のフランツ・ヨーゼフ皇帝やルドルフ皇太子、また、シュトラウス一族やブラームスなどの音楽家にも愛され認められることになり以来ウィ−ン伝統の市民音楽として定着し、大切に守られてきたことになります。


シュランメルン小史

 シュランメル兄弟は、オーストラリアのリッチャウというチェコ(オーストリア・ハンガリー帝国)に近い町で生まれたのですが、一家は兄弟がまだ幼い時分に、ウィーン郊外のオッターリンクに移りました。 そこで劇場のコンサート・マスターをしていたE・メルツァーにヴァイオリンを学びました。
父と共にトリオ(三重奏)を組んでデビューしたのは兄ヨハンが11歳、弟ヨーゼフが9歳の時といいます。
このトリオは比較的成功したのですが、父はこれに満足することなくさらに2人を音楽学校に入れて正規の教育を 受けさせ高名なヴァイオリニストのヨーゼフ・ヘルメスベルガーに就いて音楽家の道を歩ませたのです。
時はあたかもシュトラウス一家の全盛期と重なりますが、兄弟ともに卒業はしたものの、ことに兄ヨハンの道程はあまり順調ではなかったのでした。そこで、一足先に父カスパーと共にホイリゲを拠点として、そこそこの成功を収めていた弟ヨーゼフに誘われるままに、兄ヨハンも街の音楽家になる決心をしました。

   1878年にヨーゼフが第ヴァイオリン、ヨハンが第二ヴァイオリン、アントン・シュトローマイヤー(1848〜1938)のコントラギターを加えたトリオで、ヌスドルフで旗揚げしましたので「ヌスドルフ
三重奏団」と楽団名を付けました。最初の頃は自作 曲も含め、通俗的なクラシックや、民謡、オペレッタ、ヴィナーリートなどの伴奏をしていましたが、1884年にクラリネットのゲオルク・デンツァー(1848
〜1893)が加わり、正式に、「シュランメル四重奏団」となりました。
オーストリアの民族色の濃い楽器編成で、正統的な技術で支えられた演奏は、クラシックから民謡までの幅の広いレパートリーをこなして、一躍、彼らを時代の寵児にし、ついには宮廷を中心とした上流階級にまでファン層を広げ、民衆から皇帝までをその音 楽の虜にしてしまいました。


「ヌスドルフ三重奏団」(1880)

 1893年に「シュランメル四重奏団」は、アメリカ、シカゴの万国博覧会に招待されましたが、兄弟はともに健康が優れない為、エキストラをたてました。しかし、アメリカでクラリネットのデンツァーが急死してしまいましたので、やむを得ず、同行していたギターのシュトローマイヤーの息子がハーモニカ(ヴィナーハーモニカというウィーン式のアコーディオン)で参加しました。この出来事から、ハーモニカがシュランメルンに加わることになったのですが、兄ヨハンもこの年に亡くなり、弟ヨーゼフと長生きした父カスパーもそれから2年後に亡くなることになります。

 「シュランメル四重奏団」は結成後わずかに9年間、「ヌスドルフ三重奏団」から数えても通算17年間の活動期間でしたが、一般大衆から、皇帝一族までに愛好されたシュランメル兄弟の音楽はウィーンの伝統となって息づき続け重複しますが、以後、兄弟の遺したこの四重奏形態を
シュランメルンと呼び、また、転じてこの編成で演奏されるすべての音楽が、シュランメルンと呼ばれるようになったのです。

<親子のための演奏会「ウィーンの歌と音楽」2000.5.5文京シビックホールのプログラムより抜粋>

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